報告書序文

人類は自然の恵み無しに生きてゆくことなど出来ない。我々自称先進国の人間生活は自然破壊と共に運営され、 未来を破滅に導こうとしている。
あふれる工業製品と社会環境の中、今日問題は既に我々の心の中にある。 日常生活の中で自分は何を必要とし手にした物は何であるのか、己の生活を見詰め、地球そして生まれてくる子供達のことを考えねばならない。
カリマンタンの荒廃したかつての熱帯雨林に人類の明日を見るのは私だけではないはずだ。

生物は皆、繁栄と衰退を繰り返し、それを育む森林の樹々も生涯のうちに絶えず変化しており、不変的に永続されるものではない。 これを森林動態と呼び、ギャップ、形成、成熟、衰退の4相に分けられる。
同じく魚も気象条件、森林動態など数々の環境要因によって生息状況は刻々と変化しており、本編での記述は、その一端を垣間見たに過ぎない。
これまでのベタ属調査は分類学中心であった生態研究の基礎知識に分類学が必要なことは当然であるが、既に多くの研究者により数々の種が記載され、 写真時には生体すら見ることが出来る。ところが本属魚類の分布する東方地域の環境破壊は深刻で、取り分けカリマンタン及びスマトラでは危機的状況にあり、 個体密度の変化及び局所的な絶滅の調査そして保護区の特定が求められる。
本編で採り上げる魚種は低地林帯における細流部の状態を知るうえで徴標種と成り得るもので、そこに住む人達のためにも生態研究を行うことが急務であり、 研究者(プライベートも含め)は断じて同国の圧力に屈してはならない。
本編は96〜99年度報告書からの抜粋であり、既に他書で述べられている一般的記述は除外したので、他書と併用して読んで頂きたい。

熱帯雨林:
かつて地球上に存在した陸上生態系の中でも熱帯雨林の群系は、構造的に最も複雑で多様である。 非常に多くの動植物種が共存しており、種の多様性で勝るのは珊瑚焦だけである。
気温は常に高く最寒月の平均気温は熱帯高山地域を除き18度ないしそれ以上を示し最暖月と最寒月の平均気温差は5度未満でもある。 一日の気温変化の幅は年間気温変化の幅よりも大きく乾季には、それが顕著である。
熱帯雨林は毎月の降雨量が多い場所(100mm/月以上)や乾季が数日から数週間と短くその到来の予測が出来ない場所に成立する。 熱帯多雨林は年平均気温25度以上、年間降雨量2000mm以上で降雨は年間で、ほぼ平均的に分布する。
生物には、例えそれが稀にしか起こらない事例であっても極端な値のほうが平均値よりも重要であり多雨林にとって長期に及ぶ乾季は特に重大な意味を持つ。
本編で採り上げる魚種の分布は、森林群系は熱帯低地常緑雨林、植生帯は低地フタバガキ帯であり明瞭な乾季は存在せず、最も生物の多様性が見られるものである。

日本は熱帯材の輸入大国である:
世界の木材貿易中、3割を輸入しており、この中で4割以上を占める製紙原料の消費大国でもある。
60〜70年代インドネシア及びフィリピンにおいて巨額の森林伐採投資を行い、70年代初頭からの急激な輸出量に現れ、製紙原料としてマングローブ林は破壊された。 これらは丸紅、イトーチュー、王子製紙などの大手商社企業により行われ、切り尽くせば新たな伐採用地を求めてきた。それを国民は大量消費してきた。
また国際協力の名のもと人材を送り込んだり、莫大な経済援助を独裁者スハルトの基へ投じて悪政を助長したのは、工業製品の市場開発に他ならない。
有り余る生産物は公害や増え続けるゴミとなって久しく、いかがわしいリゾート開発まで含めれば切りが無い。 NHK国民放送は環境破壊大国ニッポンと題した番組さえ放送している。
開発企業は独裁者の血縁及び側近人物が代表を務めており、同国の国内問題と受け止められがちであるが、 最大の援助投資国である日本のカネによって成長したもので、つまり援助が独裁者を援助し、自然破壊、人権無視、 悪政の温床に我が国の税金があると言って過言ではない。
悪政に加担することを承知で対外援助と称するカネをバラまき、そこに住む人々の命、豊かさ、神性、文化を踏みにじる。 世界的に開発と保護に費やされた投資額の歴然とした差を見るまでもなく、既に人類は自殺を決定したとしても、それを決めたのは自称先進国である。

各種開発事業:
インドネシアは国土の実に3分の1以上(6500万ha)が商業伐採用地であり、森林開発は既に持続可能な範囲を逸脱し、モノカルチャー用地へと転換されている。
同国は今や世界一の合板産業国と成り、次いで油ヤシ、パルプ、もそうなるであろう。更に鉱山開発も盛んに行われている。 森林破壊がもたらす影響は計り知れず、生物的多様性の崩壊から地球環境変化まで懸念材料に事欠かない。
本来樹木は更新を視野に入れた計画的択伐及び植樹を行えば持続的な天然資源であり、燃焼させなければ二酸化炭素を固定化するので伐採そのものが悪いわけではない。 しかし自然摂理を無視した経済優先の現地企業と政治体制、そして輸入側の国益優先で低価格取引され大量消費したあげく現状に至っている。
他にも植物油を取るための油ヤシ栽培場(オイルプランテーション)や、パルプ原料となるアカシアが植林される産業造林が、 広大な原生林を破壊し造成されパルプ工場からの廃液汚染は魚を殺し人々の食糧を奪い、森林破壊や構造の単純化は種の喪失により生物的多様性を激減させる。
環境に優しい健康に良いなどと平気で、のたまい植物油の需要は世界的に高まり、我が国でも多くの商品が出回っている。 これらは全てスハルトの血縁関係及び側近が代表を勤める企業であり、カリマンタンはスハルトの庭と言って過言では無い。
土地権利を得た企業は住民が所有地に立ち入ることさえ許さず、先住民の虐殺も辞さない。多くの人達が殺され、土地及び慣習地を奪われたあげく、 立ち退きを余儀なくされた。数々の利権が絡まる政治は腐敗しきっており、悲しくも、それを支えるようになった社会システムがある。
これまでの調査の間、何人もの遺骨を捜した。森林開発のために軍に虐殺され、無念にも白骨化した彼らに消費国から来た者として何と答えればいいのか、 ある者は体を引き裂かれ、またある者は頭を潰され頭蓋骨は無惨にも破壊されていた。 痛ましいのは多くの子供を含んでいることであり特殊部隊の残虐さが手に取るように解る。 タンジュンレデブの山中で私を亡き者にしようとしたのも、このような部隊であると思われる。
我々の自己選択された不健康を紛らわすための僅かな健康如きにも、彼らの尊い血が流されている。あなたが使うその植物油は彼らの血である。

森林の持続的利用については、既に林学者によって数々の手法が示され、何よりそこに住む先住民は彼らの伝統的文化の中で長い間それを培い受け継いできた。 焼畑農法などの持続的かつ痩せた土地に適応した耕作方法、慣習地として普段誰も立ち入らず、緊急時にのみ利用する共有の森林区を設け、 旱魃及び不作時のための食料確保、そして疾病治療薬の保存などを行っている。
これらの森林管理システムを先住民社会は行い、食材の数は現代社会の比ではない。 (ちなみにアマゾンでは医療新薬開発のため、製薬会社は森林を買い求めている)しかし開発側は彼らから何も学ぼうとはせず、 生産性や目先の利益のみを追求し森林破滅を招き、経済学者は森林を換金すべきものと見なし、世界銀行や各国間の援助がそれに拍車をかける。
これまで研究者及び各国NGOによる幾つもの提案や伝統的かつ未来的な手法を弾圧、閉鎖に追いやり、 辛くも持続的森林利用には確固とした政治的意思をも必要とされることを示しているが、どのような経済効果を論じようとも、 既に我々人類に他の選択肢など残されてはいない。
各国代表が集まった京都の国際会議では、自国の対策猶予や醜い抜け道ばかりを考えた国益のみに終始し、根本的な環境対策の議論などされなかった。
環境問題は過去に何度か、ほぼ7年周期で話題となっては終息していく傾向にある。しかし話題性とは無関係に問題は存在しており、また最近の工業国各社は、 それも宣伝効果に利用し自らの行為を美化せんとしており、節操が無いにも程がある。断じて我が身に美化イメージなどを取り込んではならない。

森林火災:
火災以前に旱魃がありエルニーニョ南方振動と言う(汎熱帯性の気候変動の一部)東太平洋赤道付近の通常低温である表面温度の海域が変則的に高温となることによる。
80年代前半より周期的に火災が発生し、同地域を数次的に焼いている。97年8月以降、数ヶ月に及び過去に例を見ない森林火災に陥ったことは記憶に新しい。 東カリマンタン州のみで380万ha(GTZ調べ)を焼失したもので、標高100m以下の低地がその大半を占める。
83年初頭発生した大規模なものでもカリマンタン全土で300万haであることからも、その被害の深刻さが想像出来よう。 この83年の記録によれば内3分の1は火災前に伐採された場所であり大量の乾燥した木材があり破壊された森林の内135万haは原生林で、 この内10万haは乾燥により枯死したものであると報告している。また94年にも大規模な火災を起こし、煙害のためクアラルンプール空港は一時閉鎖に追い込まれている。
新聞などでは「焼畑のために放った火が旱魃により拡大した」などと報じているが、事はそれほど単純なものではない。
本来焼畑とは森林をある程度切り開き行う伝統的な移動耕作を指し、近年起こる火災とは大規模な農地開発や産業造林そして石炭開発などに伴い、 企業による放火によって発生したもので、カリマンタンにおける97年の火災原因は油ヤシ栽培場42%、産業造林37%で企業関連は計80%に昇る。 これにより29社が伐採認可の取消処分を受けたが、効力のほどは疑わしい。
開発企業にとり森林は文字通り無用の長物で、焼失後は容易に処分することが出来るため、企業は現地の者に僅かばかりの金を与え、 所有地及び周辺地域へ放火させている。
地元住民へのインタビューを試みるが、「なぜ燃えているのか?」の問いに「知らない、ただ燃えているだけだ」と答えるのみで、 企業からの報復をとても恐れ人々は口を噤む。
焼失面積については各機関ともまちまちであるが、その数値以上であると解釈されたい。 何故ならば火災は調査中も継続しており、発表時には更に拡大しているからである。 小規模火災も含めれば僅か20日未満の晴天で発生し、99年にも火災は発生している。
他にも数々の要因はあるが現段階で言えるのは、いつ何処ででも発生する危険性が在り、これを防ぐのは困難であると言わざるを得ない。
私は97年、力及ばずも村人と伴に消火活動を行った。24時間煙にさらされ頭痛はひどく、幼い子供達は咳込み、その後呼吸器疾患に悩む人も多い。 食料はおろか飲み水にも事欠き、これまで育ててきた農作物も焼失し、餓死者も出した。 いつ終わるとも知れない火災にひたすら次の雨を待つしかないのである。彼らの苦悩は今も続いている。 あの火災を繰り返してはならない、そんな思いが私の中で空回りしている。

森林の分断孤立:
環境破壊の第一段階として行われる。かつて広大な面積を覆っていた熱帯雨林は各種開発によりパッチ状に残存する。 森林輪郭の割合が多く容易に人の侵入が可能となり周りの環境変化に合わせて森林内部気候も変わらざるを得ない。 各種の表土浸食や保水力の著しい低下は周辺河川の増水と土濁、河川浸食を招く。
この森林の上流側に裸地などの既開発地が在る場合、残存林内に生息する挟環境性種は生息地の分断を強いられ、 つぎに何らかの撹乱が生じた場合、壊滅的被害を与えかねない。また地域により油ヤシ栽培場、パルプ用産業造林、石炭採掘などの次なる開発事業地へ移行又は放置され、 最終的には荒廃地と化す。皮肉にも調査地の多くはその容易さから木材搬出路周辺からである。

土砂採掘:
通常森林伐採の後、荒廃地化した場所で行われ、土壌浸食を加速させ既にダメージを受けた生態系に対し更なる影響を及ぼす。
都市部近郊での道路建設及び補修など各種建設に必要であるため、交通量の増加に伴い今後も行われる。 丘のひとつやふたつは、すぐに無くなり、更に掘り込まれ、すり鉢状に変容し雨水及び地下水により人工池となる。 長期に及ぶ乾期には付近の住民はここから水を得ているが、細流や井戸水とはかけ離れたものである。
低地帯では起伏が緩やかなため地形の変化は即細流部の流れを変え、浸食作用により人工池は容易に他の細流と繋がる。
バンジャルマシン近郊の調査では日中の表層水温(直射日光下) 35℃に対し1m下では27℃以下である。魚種、数に乏しく一部の広環境性魚類が観られるのみである。

現地調査:
立ち寄る村々でいつもお世話になる。長老への挨拶に始まり、彼らの仕事を手伝いながら村人達と魚との関わり合いや、昔話を聞きながらの滞在は、 多くの意味で現地調査の重要性を再認識させるばかりでなく、言い表せないほどの感謝に充たされ、また忘れ得ぬ友が増える。これが私の財産である。 今も旅先の風景と彼らのことが胸に浮かぶ。
生息地では出来る限り分布中心の特定に努め、個体密度と生活環境の相違を考察し、種を取り巻く環境は、聞き取り調査が重要である。 地域慣習に従った調査を行い住民への報告を怠ってはならない。
環境破壊が深刻化する中、魚を取り巻く環境、政治、気候、社会的な多方面からの視点が必要で、ただ魚を採って帰るだけでは、村人に対して余りにも失礼で、 帰国後は、セコイ内輪話に終始する。
魚が好きならば自然界から切り離された水槽飼育だけで終わらせてはならない。 魚とは自然環境を知るための扉であり熱帯魚飼育はその過程のひとつに過ぎず、多くの意見が持ち寄られることが望まれる。

系統維持:
保存生物学の一環として種子植物などは関係機関により広く行われていることであるが、魚類では経済効果が薄く関係機関も皆無に等しいため、 今日まで議論されることは稀であった。趣味界では生息地へのインパクトを最小限に留め必要数は出来る限り自らで賄い分布域型を考察し、 更には種の育成地外保存を目的とする最終手段でもある。
基本的に生息地の環境が保全されない限り種の存続は困難であるが、これが良いか悪いかを議論する時間は無い。 この作業は現段階では趣味界に委ねられていると言っても過言ではない。
私は人間経済活動の生き証人として水槽内だけでも残し後世に伝えることを目的として種の導入を行っており、 我が国に熱帯魚趣味がある以上、皆の連携によって関係機関並みの成果を挙げることは可能であると考えている。
また生息地での状況を広く伝えるためにも趣味界の果たす役割は大きく、欧州では以前からこれらに対して積極的に取り組む姿勢が見られる。 彼らと比較して我が国の飼育技術が劣っているのでは無く、飼育に対する姿勢そのものが問われているのである。

熱帯魚ビジネス:
以前から新聞報道などで否定的な記事をよく見かける。これは一部の行きすぎた採集行為を抑制するためには有効である反面、 通常の輸出をも含む内容と解釈されることは、遺憾である。何故ならば一般種として輸入されるものは、繁殖又は広環境性種であることが大半を占め、 種の減少に繋がるようなことは無い。
確かにビニール袋に大量に詰め込まれた可愛い魚は見た目には良くないが生息地では多数生息しており、 それに見合う以上の生産力を有し、乾季には大量の魚が死亡しており、これらは採集による数の比ではない。
減少の原因とは水質汚染などの環境悪化以外の何物でもなく、各報道に見られる記述は目先の行為を取らまえたものにすぎず、 根本的原因を招いた企業活動及び政治的意図を無視した無責任なものである。
本来魚の輸出とは生息地の環境が守られる限り半ば無尽蔵に供給される環境破壊無くして行うことの出来る数少ないビジネスのひとつであり、 むしろ奨励されるべきものである。
しかし挟環境性種である種に対しても、そこの個体群を一掃するような大量採集を行い、減少に拍車をかけるなど本末転倒で、 採集業者及び販売店そして購買者の責任が厳しく問われて当然である。
また多くの販売店は受け入れた魚に対し価格による優劣を付け無責任な対応で命の消費販売を行い客もそれに準じて消費 (これを飼育とは言わない)するなど馬鹿の所業であり、思い当たる輩は以後改められよ。さもなくば即刻看板を下ろすが良かろう。

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