Betta albimarginata gorup ベタアルビマルギナータ グループ

Betta albimarginata gorupベタアルビマルギナータ グループ
東カリマンタン州のみに分布する小型口内保育性ベタで、現在albimarginataアルビマルギナータ,channoidesチャンノイディスの2種が記載される。
前種は93年2月,後種は91年8月M,Kottlat博士により発見され94年発表に至る。両種の分布域間でも本タイプの報告があり未記載種である可能性が高いが、 その後の情報が無く97年調査の際、発見を試みたが森林火災のため、結果を出すには至っていない。
独特の体型と属中最小の口内保育性であり、棘条数は9~12など分類学上属中でも特異な部類に入る。

古地理的に観て分布圏は第四期スンダ大陸棚の東端に位置し、この時代から既に特異分布しており、 マカリハット岬(同州中央部に位置しボルネオ島で唯一この時代から存在する)を突端とする山脈によって、 当時から両種の生息地は隔てられていたことが推測される。その後の海進により内陸側の緩やかな地形に移動し、 北のアルビマルギナータと南のチャンノイディスの基本種となり、ブルム氷期末期(縄文海進)5000〜6000年前に更に内陸化が進み、 その後の沖積土により現在同州を代表する二つの湿地帯が形成され、近代においては両種の生息地下流側にあるこれら湿地帯との関係性を持ち、進化したと考えられる。

両種は近縁関係にあるが生息地での状況はいくらか異なり、アルビマルギナータはより上流志向が強く、 頭部及び体型も幾分流線型である。また両種を繁殖させた場合稚魚は明らかに異なり、アルビマルギナータは白色に複数の黒色斑を有するが、 チャンノイディスは黒一色である。

Betta albimarginata Kottlat et Ng, 1994
東カリマンタン州北部Sungei Sebuku,senbakung,sesayap.セブク、サンバクン、ササヤップ。の3河川中流域に分布する。 各河川からの分布域型の報告は無く、記載地はセブク川水系である。
体長30mmほどの小型口内保育性ベタで、頭部は大きく上頭部に複数の黒色斑を有し、濃朱黄色の体色に、各鰭は赤く先端が白く縁取られるのが特長である。 個体数は極めて少なく、近年同地域における乱開発のため減少の一途を辿る。

生息地:標高160m未満の低地林帯に機会分布し、水源部から生息場所まで原生林を留めた川幅3m未満の細流である。 樹木及び草本によって上覆され薄暗く河底には浮石が多い。
生息場所は強流速の脇に形成される僅かな緩流部であり、水際に生える笹内に生息を確認するが、他の障害物内にも生息すると思われる。 稚魚は緩流部の更に笹の多い場所に定位する。
何れの細流も併出湧泉など、複数の湧水沢で構成され、川幅は狭く少水量であるが、近年の旱魃時にも干上がってはいない。 各場所共、水深30cm以内を生活層とし目視は不可である。止水には生息しない。

水温:26.5℃以下を示し26℃前後が適水温と思われる。

水質:ササヤップ水系ではpH 6.9~7.1 硬度GH 4 KH 5を示し、地域周辺には石炭層が在ることから硬度に関係すると思われる。 水色は薄土濁褐色である。センバクン水系ではpH 6.0~6.4 硬度GH KH 2 水色は薄褐色である。

土壌:細流では表層に硅砂(漂白されたものは観られない)の観られるポドソルで、水源付近では黒石となっている。

繁殖:体長30mm程度から繁殖可能となる。口内保育型の本種は22尾を保育しており、産卵数は本型他種と比べて極めて少ない。

生息場所:山間部を生活範囲とし、細流では局地的な分布が観られ狭場所性である。生息場所選択ついては、 上流側に生息圏を持つ好礫性のウニマクラータ種との棲み分けが考えられるが、細流に観られる両種の垂直分布は明瞭な境界を持たず、 前種とある程度生息範囲が重複する。
注:以上の記述は森林火災以前の97年のもので、その後生息地は火災下にあるため、現在の環境及び生息状況は不明である。

Betta channoides Kotteiat et Ng,1994
東カリマンタン州Sungei Mahakamマハカム川水系中流域から下流域まで分布圏を持つ同水系の固有種である。
体長30mmほどの小型口内保育性ベタで、頭部は大きく濃赤色の体色に鰓蓋には薄い青緑色の斑を有し、尾鰭尻鰭の先端が白く縁取られるのが特長である。
生息地は標高80m未満の低地林帯内で細流から湿地部に分布し、近年同地域における乱開発のため激減している。 現地ではスリースポットグラミイと同じくセパットと呼ばれ固有名詞は無い。本種調査は96年から行い現在も続行中である。

生息地:緩地形の低地林内を流れる川幅3m未満の細流及び点在する水源付近の沼沢湧泉に機会分布しており、 樹木及び草本によって上覆され薄暗い。細流では川幅が狭くなり強流速の脇に形成される僅かな緩流部を生息場所に選択する。
板根樹木から垂れる水中根群内に生息密度が高く(図1)他にはメゾフィル程度の枯葉下及び水際の草本植物内、沼沢湧泉では細流部に生息する。 大型個体は比較的根群内に多く幼魚は草本植生内に多いが、体長を問わず同所に生息しており、通常の水位変動であれば常時同所で個体群が観られる。
複数の湧水沢で構成され、少水量ながら97年以前の旱魃では干上がっていない。 また低湿地付近にありながらスネークヘッド,スリースポットグラミイなどの広環境性魚類の個体数は少ない。
各場所共、水深40cm以内を生活層とし目視は不可である。通常止水には生息しない。

図1生活場所参考図Area Samarinda ・・・転送不可の為、省略します。・・・
上図の調査地は97年から98年の旱魃及び森林火災期にすべて干上がり、以降本種は確認されない。 更に99年前半上流側でのKITADIN(石炭採掘会社)による石炭開発事業に伴い搬出路の建設及び採掘により流出土が著しく水深僅か15p下すら見えない程で、 99年4月、8月の調査ではラスボラ、ニードルガーなどの遊泳型広環境性魚類すら観られず、他の外的要因が考えられる。
この細流が干上がるのは、開村以来例が無く、KITADINは周辺での森林放火に関与しながら今もって否定し続けている。 同地での生息状況はその後毎月、私のスタッフにより調査が行われているが2000年3月現在まで変化は観られず、他の調査地でも同様である。

水温:何れも27℃以下を示し26℃前後が適水温と思われる。生息範囲内では低水温場所を選択し、細流内の湧水部、流水など、 水温を低く一定に保つ要素が観られる。例外的に29.5℃を示す渇水状態の止水で3個体のみ採集した例がある。

水質:pH 4.5~6.5 導電率80?以下を示し、石炭層近辺には生息せず自然環境下では弱酸性,軟水を選択する。 泥炭土の多い沼沢ではpH,硬度共低い値を示し、水色は薄い土濁褐色であり腐食層堆積の割合が多い場合褐色度を増す。

土壌:細流では表層に硅砂(漂白されたものは観られない)の観られるポドソルで、沼沢では堆積腐食が多く観られる。

食性:根群内から採集した大型個体の胃内容物一例では底性動物を摂取しており、主に陸生昆虫の幼虫が認められ、 その他は形態を留めておらずミジンコなどの小動物であると思われる。

繁殖:体長30mm程度から繁殖可能となる。口内保育型の本種は20〜30尾を保育しており、産卵数は本型他種と比べて極めて少ない。 保育中の個体は水中根群内及び草本植物内に定位し緩流ではあるが常時全体的に流れており保育卵に酸素供給がなされている。 産卵期は無く低水量期間を除き保育中の個体を観ることができる。

生息場所:低湿地帯と山腹の間を生活範囲としており、地形的な面から観ても狭環境性である。 細流では局地的な分布が観られ、ひとつの細流区間(沼沢と沼沢の間)に点在せず、生息範囲も20m以下と極めて狭く、 ある程度の個体数を必要とする密度効果によって個体群が維持されていると考えられる。
生息場所選択ついては好礫性であるパトティ種との棲み分けが考えられ、同細流の上流側では何れもパトティの生息範囲と成ることから共存は困難である。 また適度の耐流力は持つが水源部までの移動性は無いために、細流における両種の垂直分布は明瞭に表れ、本種の分布上限付近に個体群が観られた例が多い。 

移動:細流での個体群が常時生息する場所を定生活場所とし、沼沢湧泉内の生活場所との間で行われる移動形態を持ち、 これら二点の場所を繋ぐ形で行われるのではないかと考えられる。
通常この二点間には個体群は観られず、増水時に移動中と思しい個体が少数観られる程度である。 96年調査の際、下流側の明らかに生息場所とは異なる場所で個体群が観られ、おそらく低水位後の豪雨により、 急増水のため流下した個体が溜まり易い場所であったと思われるが、これは個体群としての集団流下(集団移動性)の可能性も示唆している。

周辺環境:各種開発並びに長期に亘る度重なる渇水などが挙げられる。取り分け本種の場合森林伐採が本格化した80年代前半を境に、 凡そ考えられる開発事業が広範囲に亘り分布域であるマハカム川流域低地帯に対して行われている。
本種の生息地となる例えて言うなら「既存の村に隣接するような森の中」は地形的に見ても開発容易であることから森林伐採が著しい。 今やここが熱帯多雨林に区分されているとは誰も思うまい。予てより乱伐後の表土流出で樹木の回復は容易ではなく、 川底には流出土が堆積し荒廃地化した環境下、直射日光を受けた細流は水温上昇を招いている。
保水力低下により常時水は湧き出さず細流の消滅は各所で起こっている。また農地拡張に比例し農薬散布、人口増加による各種の人為的汚染も加わる。 本種の生息圏にはこれらの条件が複合的に作用し、私が調査を始めた96年には既に多くの場所で、地域的絶滅に至っており、 残された狭い林区内から観察されたにすぎず生息地は分断孤立状態であった事が覗える更に97年発生した森林火災は以上の経過のうえに追い討ちをかける結果となった。
その地形を見る限り以前には少なからず生息していたとは思われるが、本種調査の場合その何れもが推測の域を出ず、 97年7月確認したのを最後に現在まで確認されてはおらず本属中最も被害を受けた種である。
通常、水位の回復後ある一定期間の後、他所からの流入並びに残存個体からの個体数回復が観られるものであるが、 それを育む現在の環境に多くの問題がある。なぜならば火災地域とは主に開発を前提とし意図的(放火)に行われたものであるため、 仮に本種がそこに戻ることがあったとしても生息地が永続することは難しいためである。
そして火を放った企業の思惑どおり新たな石炭開発、油ヤシ栽培場などの大事業が進行中である。 よって新たな生息地を見出さない限り調査続行は不可能で、現在も私のスタッフにより生息地の特定が行われている。

以上の経過から近年、個体数は激減したことは事実であるが、即絶滅とするには即決すぎる。
広大なマハカム水系には未だ残された生息地域があると考えるべきで、反対にいずれ戻る、まだ何処かに沢山いると楽観視するのも考えものである。 問題は以前の生息地が人為的作用によって破壊されたと言う事実であって、それは現在も進行していると言うことである。
何処かに生息地は必ず残されているが、問題はその「何処」かである、その「何処」かを見出さない限り生態調査は不可能であることは勿論、 今後とも「まだ何処かに居るはずだ」を永遠と繰り返すことになる。

  2000年2月10日 出射隆成

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