奥地の村へ

前回の採集(8〜9/98)はとても大変で難しかった。 というのは8月だからまだ乾季だろうとふんできたのだがもうすでに雨季が始まってるというのだ。
それでも昼間は日が射し暑いが、夜になると決まって激しい雨が降り、 夕方からナシゴレンの屋台をやっている僕の友達はとてもやっていけない、と嘆いていた。
いつもなら10月頃から雨季に入り、この時期はまだ乾季のはずだ。 97年には10月になっても雨が降らず、焼畑の火が消えず広大な森林を失う大火災になった。 カプアス川も場所によっては歩いて渡れるほどに干上がったという。信じられない話だ。
その干ばつから打って変わり、今年は8月の初めから雨が降りっぱなしなんだそうだ。 中国でもひどい洪水のようだし、カプアスもこんなに水位が上がったのは近年無かったという事である。 カプアス川は一段と濁り、ミルクコーヒー色の巨大な水のかたまりが恐ろしいほどの勢いで流れていく・・・。 エルニーニョの反動だろうか。
前にB.ディミディアータが採れた小川も水位の上がった本流の流れにのみこまれ、 それがどこだったかさえ分からない状況で、圧倒的な水量を目の前にただ呆然と眺めるしかない。

もっと上流の方はどうだろうか。状況は分からないがここにいても仕方ないだろう。 僕らは上流へ向かうバスに乗り込んだ。しかし状況はよくなるどころか、ますますひどくなってきた。 道はドロドロになり、穴にはまったトラックが道をふさぎ立ち往生してしまった。
さらに上流へ向かうと道は川と化し、バスの中にまで水が入ってくるありさまである。 そしてとうとうバスはこれ以上進めなくなった。水に沈んでしまう・・・。 バスの横を荷物を運び出すボートが行き交うという光景になった。道の上をナマズやラスボラが泳ぎ回っている。
最悪だ・・・。でもこればっかりはしょうがない、臨機応変にいこうじゃないの。 僕らは船に乗り換えさらに上流を目指す。採集はあきらめて奥地の村でのんびり過ごそうってわけなのだ。

船に乗り換え4時間ほどでウンパナンという村にたどりついた。 この村は完全に水の上に浮かんでいる状態だった。この辺は地形が平坦なため、 雨季になるとあたり一面水に沈んでしまうらしく、家は沈まないようにかなり高めの高床式にしてある。 完全に陸地と切り離されてしまうのだ。
僕はまず村長の家へ挨拶に行き、ある一軒の家に泊まらせてもらう事にした。 ここに日本人が来たのは初めてだ、と物静かな村長は言っていた。

飛び込んでいるのはエマちゃんですが、ここは川じゃなく「学校の校庭」なのです

ここは大きな湖に近い小さくとてものんびりした村。それも当然。 この村には近代的な設備、ガスや水道など一切無い。電気は自家発電だ。だからその分生活は自然と一体化している。 でもちゃんとテレビがあって、なぜかMTVやってんだよね・・・。 (タイの首長族がペプシ飲んでたのと同じくらいの衝撃!)

魚は保存用に干物(イカン・アシン)にする。キッシングが中心じゃよ。

川は生活のすべての基盤であり、道でもある。水道なんかなくったって川があればいい。 水浴び、洗濯、、ハミガキ、トイレ全て川で済ます。食事は川でとった魚を干物やフライやスープにして食べる。
料理を作る時、湯を沸かす時などは薪を使う。 薪は森で適当な木を倒し、輪切りにして舟で持ち帰り、それをナタで細かく割って干し、薪を作る。 ガス台のつまみをひねれば火が使える「文明人」からすれば、とてつもない手間であるが、 彼らはとりたてて何かやらなくちゃいけないという事がない。 何もしないというわけではない、必要があればやるだけである。 それで生活が成り立っているので、時間の感覚が都会暮らしの日本人にとっては異次元だ。
時間はつながっていて一切区切られる事はない。川がすべての空間をつないでいるって感じだ。 時間がゆったりと流れていると感じるのはそのためだろう。
時間は無限に永遠にある・・・。急ぐことはない。

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