サラワク州、クチンへ着いた僕らは早速ポンティアナックへ行くバスの予約をした。
クチンから大型バスに乗り、国境を越えてカリマンタンの地へ入る。
約10時間をかけてカプアス川の河口付近の大きな町、ポンティアナックへたどりつく。
しかしこのバスはひどいもんであった。ここに限らずアジアを走る長距離バスというのは何故あんなに寒いんだろうか・・・。
赤道直下の熱帯で、何故僕は硬直するほどの寒さに耐えながらバスに乗っているんだろう、そう悩み続けた。
冷房が効かなくて暑くてたまらん、というのなら納得できる。それが僕の求める熱帯の条件である。
しかし凍えるほどの寒さに耐えてバスに乗るというのはどうにも納得できない。
次の日の早朝、僕はカプアスの河岸へ立った。
早朝のカプアス川には朝もやがかかり、
橋を照らす橙色のライトの光がぼんやりと輝いていた。
川の水は茶色く濁り、かなりの勢いでうねるように流れていった。
とうとうここまで来た。これがカプアス川か・・・。
朝の空気はひんやりとして気持ちよく、僕は大きく息を吸い込んだ。
この大きな流れの中のどこかにまだ誰も見た事の無いような魚たちがうごめいている、
それを今から自分のこの手で探し出そうというのだ。
そう思うと心の底から喜びが沸き上がってくるの感じた。
それと同時に何かに飲み込まれてしまいそうななんともいえない不安にもかられた。
なにしろこっちはなんのアテもない。
ベタがどこにいるのかもわからなければインドネシア語も解からない、大丈夫だろうか・・・。
しかしこの川沿いのスラムに住むアデという少年とその仲間達は、そんな不安を吹き飛ばしてくれた。
彼らは僕に気さくに話し掛けてきた。
「どこからきた?」「日本」その程度の会話しか成り立たなかったが、なぜか僕らは仲良くなった。
彼らと一緒になって舟から川へ飛び込んで遊び、一緒になってギターをひき、インドネシアの歌を唄った。
もちろん僕は唄えないが、ただその場を楽しめばいいのだった。気がつけば僕らの周りにはたくさんの子供たちが集まっていた。
カプアス川に沿って続くスラム街
そのうちの一人はヤシの木に器用に登り始めた。みんなはモンキー、モンキーといってはやしたてる。
彼はてっぺんまで登ると足でヤシの木を挟み込み、手でヤシの実をグルグルと回しちぎって下に落とすとするすると降りてきた。
そして彼はナタで実を割ると、中の果汁をコップに注ぎ氷を入れ僕に差し出したのだった。
「おーっ、テリマカシ!」僕は感激した。
突然現れた日本人に、彼はコーラの缶を手渡したのではなく、自分で登り実を割り僕にくれたのだ。
もちろん彼には人にコーラを買ってあげる余裕など無い事は見ればわかった。
だからこそ僕は本当に嬉しかった。
そうか言葉なんて要らないのだ、自分の気持ちを伝えるのに言葉だけに頼る必要など全く無いのだ。
行動で表わせばいい。それは解かっているつもりではあったけども、改めてそう強く感じた。
こうして僕の魚採りの旅はここから始まった。
そしてカリマンタンの人とはこういう人たちなんだという事もこの時少し知ったのである。
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