なぜボルネオに?

いきなりつまらない話で申し訳ないが、まずは僕がボルネオに行く事になったきっかけを書きたいと思う。
僕はあのころバイクに夢中だった。環八のバイク屋で働き、 ローソンの外装をのせたKZ1000Jを乗り回して夜な夜な第3京浜をすっとばしていた。
そのうちにバイク屋の先輩の影響で、RS125に乗りレースにまで出るようになったが、 努力とセンスが足りず全く不本意なままレースを断念。その時の借金でカワサキも手放してしまった。 それ以来バイクには乗っていない。

シッブ〜・・・Z1000J

やる事がなくなってしまった僕は、またふらふらと釣りへでかけるようになった。 僕は子供のころは釣りや虫捕りばかりしている子供だったのだ。
そしてある日、ふと思ったのだ。熱帯魚飼ってみよう! 昔使っていた水槽を引っ張り出してきた。砂利を敷き、アマゾンソードを植える。
記念すべき熱帯魚第1号はコリドラス"ジュリー"二匹だった。 仲良くちょこちょこと這い回る姿を見て、人知れぬ満足感にひたっていた。
しかし熱帯魚を始めた頃っていうのはいろんな魚を飼ってみたいもんなのだ。 知識欲も旺盛であらゆる分野の魚のデータが頭に詰め込まれていった。いわゆる頭でっかち状態だ。
それを過ぎるとだんだん好きな分野やスタイルが固まってくる。そしていつしか僕はアジアの魚に心引かれていった。 ラスボラ、バルブ、初めて飼ったアナバンはたしかゴールデンハニーグーラミィだったと思う。

そうしていきついたところがワイルドベタの世界であった。 そうなるにはそれまでの自分の置かれている環境も無関係ではなかったはずだ。 慢性貧乏症である僕の経済事情や住宅事情、それに僕にはタイ人やミャンマー人の友達がいて、 少なからずアジアに興味を持っていた。
しかし今まではただ漠然と魚を飼っているだけだったが、ベタについて詳しくなるにつれ、 日本で売られているベタはたくさんいるうちのほんの少しなんだという事が分かってきた。 今、日本で手に入らないものはない、そうよく言うが魚の世界ではそうではないようだ。
そんな時にベタ エニサエが現れたのだ。僕はこのベタに釘ずけになった。
こいつが欲しい!しかし日本にはまだ輸入されていない。どうあがいても手に入らないのだ。 魚の場合、ドイツで手に入らないものはない、と言う方が正しい。しかし、それじゃあ悔しいじゃあないか。
だったら採りに行っちゃおう!非常に安直な思い付き的発想だったが、 僕は日本でただ輸入されるのをジーッと待ってられるほど気長なタイプではなかった。
あ、そうだ、ついでにタイに帰ったカンジャナさんに会いに行ってみようか。 そうしてボルネオへの旅の計画が始まったのだ。

しかしそこはボルネオのジャングルである。特にインドネシア領のカリマンタンは情報が少ない。 "地球の歩き方"にはもちろん載っていないし、バックパッカーの旅行記など見てもここの事はほとんど載っていない。動物学者の安間 繁樹の本ぐらいしか知らなかった。
そしてさすがは紀伊国屋、ボルネオ島の特大地図を保有していた。 しかしこの地図が作られたのは1975年であり、しかもカリマンタンのかなりの部分が未調査、未計測で所々に真っ白い穴が空いていた。 これでは一人じゃあちょっと心細いもんがある。
そこでその頃、渋谷のアリマックスホテルというバーで、一緒にアルバイトをしていた フリーカメラマンのダイちゃんにこの話を持ち掛けたのだ。 「はぁ?ボルネオ?面白そうじゃん、行くよ。」即答であった。
しかし今よく考えてみれば、なぜ彼はあの時僕と一緒にボルネオに行こうと思ったんだろう・・・。 もしかすると彼も僕があの頃そうだったように、何か面白い事はないか、 何かわくわくするような事はないか、と探していたのかもしれない。 まあこうして僕らはボルネオの地に足を踏み入れる事のなったのである。

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